10/27/2004

千住大橋

千住大橋の歴史は古く、徳川家康が入府してから4年後の文禄3年(1594年)11月に完成した。現在より約200メートル上流に位置し、京間が長さ66間、幅が4間で柱杭は槇(まき)という当時では大工事であった。隅田川に架けられた橋としては最も古く、次に架けられた両国橋は60年後であった。千住大橋の架け替え工事は正保4年(1647年)、寛文6年(1666年)、天和4年(1684年)、享保3年(1718年)、宝暦4年(1754年)、明和4年(1767年)に行なわれ、明和4年に200メートル下流の現在の位置に移った。江戸時代には一度も流出しなかった千住大橋は明治18年の台風により初めて流出した。

その後、明治後半から大正時代に起きた大洪水にも持ちこたえ、大正12年(1923年)の関東大震災の震災復興計画に基づいて昭和2年(1927年)に木橋から鋼タイドアーチ桁の鉄橋(全長、91.7メートル)に架け替えられた。昭和48年に日光街道の交通量の増加に伴い、下流側に3径間連続鋼剣桁の鉄橋(502.5メートル)が並行して架けられ、上り車線と下り車線を分離して現在に至っている。上流側に平行して水道管用の橋が架かっている。1960年代には都電が走っていた。













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