5/02/2005

藤の大滝

東日暮里の井上さん宅の藤の木は4月の下旬に藤の花房が約12mにもなる藤の大滝として荒川区で知られている。昭和48年に植樹した当時の藤の木の高さは約1メートル、昭和50年に初開花し、長さ約60センチの花房が12房であった。昭和58年に荒川区役所の保護樹木に指定されている。














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5/01/2005

川の手荒川まつり

第19回「川の手荒川まつり」と第26回「商業祭」は4月29日(祝)の午前10時から午後4時まで第1会場の南千住野球場・荒川総合スポーツセンターと第2会場の瑞光小学校校庭で同時に開催された。第1会場では姉妹・友好都市特産品コーナー、商業祭バザール、福祉チャリティバザール、国際交流コーナー、ヘブンアーティスト、マジレンジャーショウ、ミニコンサートなどが行なわれ、家族連れや若いカップルで大賑わいであった。第2会場ではミニSL・ミニ都電、つくってあそぼう、丸太切り、リサイクル図書コーナーがあり、特に校庭に敷かれた軌道を走るミニSLとミニ都電の乗車は訪れた子供達に大人気であった。また、第3会場では俳句・スタンプラリーが行なわれた。オープニングの前に区内の各種団体は三ノ輪銀座商店街から会場まで華やかなパフォーマンスでパレードを行なった。














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4/25/2005

根津神社-つつじ祭り

文京区の根津神社は徳川幕府の五代将軍綱吉が1706年に建立し、権現造りの社殿、唐門、楼門、透塀など7棟の建物は、江戸時代の代表的な建築として国の重要文化財に指定されている。六代将軍家宣が祭礼を定め3基の神輿を奉納し1714年から天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を行い山王祭、神田祭とともに江戸三大祭といわれていた。

根津神社はつつじの名所として知られており、境内にある約2,000坪の<つつじ苑>には約50種3,000株が植えられている。毎年恒例の「つつじ祭り」が行われており、今年は4月8日から5月5日。斜面に植えられたつつじは、日当たりの関係や種類によって、全体がいっせいに咲きそろうことはなく、長期間にわたって早咲きから遅咲きの花が楽しめる。

「つつじ祭り」の期間は境内に露天・屋台が軒を並べ、土日祭日には野点・筝曲など各種行事が行なわれる。














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4/17/2005

荒川区内のお花見スポット

先週の土曜日(4月9日)、荒川区イベントカレンダー(荒川区観光振興課発行)を片手に荒川区内のお花見スポットとして紹介されている20ヶ所のスポットの中で荒川自然公園、荒川公園と都立尾久の原公園を訪ねた。今年の開花は例年に比べて2-3日遅れたが満開のタイミングは週末になりラッキー。歩いているとちょっと汗ばむ位の暖かい天候。公園では大勢の家族連れや若いカップルがお弁当を食べたり、中にはお酒やビールを飲みながらお花見を楽しんでいる人達もいた。やはり花より団子。都電荒川線の荒川二丁目付近の路線沿えの桜は満開のピークを超え吹く風で散り始めていた。デジカメで撮った写真は上から荒川自然公園の交通園付近で水遊びする子とも達と桜、荒川区役所前の荒川公園の見事なシダレ桜と都立尾久の原公園の若い桜です。













荒川区内の主なお花見スポットは、南千住地域の東京ガス周辺、アクロシティ周辺、荒川総合スポーツセンター周辺と南千住スカイハイツ周辺の通り、荒川地域の荒川公園、荒川自然公園と三河島水再生センター周辺、町屋地域のサンパール通り、東尾久地域の都立尾久の原公園、西尾久地域のさくら通りとあらかわ遊園とその周辺、東日暮里地域の正庭通り、カンカン森通り、日暮里南公園・竹台高校周辺、日暮里中央通りと七五三通り、西日暮里地域の西日暮里一丁目広場、西日暮里公園、開成学園周辺と冠新道などである。


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10/27/2004

千住大橋

千住大橋の歴史は古く、徳川家康が入府してから4年後の文禄3年(1594年)11月に完成した。現在より約200メートル上流に位置し、京間が長さ66間、幅が4間で柱杭は槇(まき)という当時では大工事であった。隅田川に架けられた橋としては最も古く、次に架けられた両国橋は60年後であった。千住大橋の架け替え工事は正保4年(1647年)、寛文6年(1666年)、天和4年(1684年)、享保3年(1718年)、宝暦4年(1754年)、明和4年(1767年)に行なわれ、明和4年に200メートル下流の現在の位置に移った。江戸時代には一度も流出しなかった千住大橋は明治18年の台風により初めて流出した。

その後、明治後半から大正時代に起きた大洪水にも持ちこたえ、大正12年(1923年)の関東大震災の震災復興計画に基づいて昭和2年(1927年)に木橋から鋼タイドアーチ桁の鉄橋(全長、91.7メートル)に架け替えられた。昭和48年に日光街道の交通量の増加に伴い、下流側に3径間連続鋼剣桁の鉄橋(502.5メートル)が並行して架けられ、上り車線と下り車線を分離して現在に至っている。上流側に平行して水道管用の橋が架かっている。1960年代には都電が走っていた。













千住大橋ついては千住の歴史と文化・千住大橋をご覧ください。


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10/17/2004

日暮里公園

日暮里公園は荒川区立公園の一つであり、東日暮里3丁目に位置し、第三日暮里小学校に近く、その面積は3,580平方メートルである。公園敷地内にはモニュメント、「日暮里公園の記」、全長16メートルのローラー式すべり台、全長20mのタ-ザンロ-プ、フェンス囲い型砂場などがある。

日暮里公園の記

その昔、現在の日暮里の大部分は「新堀」と言う地名で呼ばれていました。15-16世紀の古文書にもこの地名がみられ一説には地元の土豪が屋敷にめぐらした堀を人々がニイホリと呼び、この地の代名詞になったとも言われています。江戸時代、高台の道灌山・諏訪台からの展望が「春秋の景色、日の暮るを忘れる」景勝の地として知られるようになり、”ひぐらしの里(日暮の里)とも呼ばれるようになりました。

明治11年(郡区町村編成法制定の際)にそれまでの新堀村に変わって日暮里(にっぽり)村と表記されることになりました。この公園は、戦前の昭和18年に開設され「新堀、ひぐらしの里をもしのぶ日暮里公園」として町の人々に愛されました。しかし、戦災のためこの付近一帯は焼け野原になりました。

今回、新装された公園には、昔の里をしのぶ憩いの広場、夕日を背に自分の影で時はわかる日時計、遠く未来までも見つめる彫刻などが用意され、現代の文化を語る公園として永遠に残されます。由緒ある地名、日暮里と日暮里公園を後世に伝えるべく”日暮里公園の記”として、ここにしるします。

昭和62年3月
荒川区土木部公園緑地課














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10/06/2004

ようこそ@東京カフェへ

@東京カフェ - いつでもどこでもカフェ日和です」は、東京都内を中心として国内各地のカフェの検索と登録ができるサイトです。カフェ・レストラン、オープン・カフェ、カフェ・バー、セルフ・サービス・カフェ、和風・カフェ、裏路地カフェ、喫茶店、新規開店やリニューアルなど最新の情報を閲覧できます。

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地域に密着したローカルな「荒川ネット-荒川区の検索エンジンで蓄積した実績に基づいて仕上げた「@東京カフェで全国規模の検索エンジン(リンク集?)にステップ・アップできたのは本当に嬉しいです。勿論、今回もインターネット上で入手したフリーソフトを活用したので費やした費用はゼロでした(ただ、XOOPSの解説本は勉強のために購入した)。つぎは世界規模の検索エンジンに飛躍しよう。ニッチ(隙間)を探して突撃だ-。


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