8/13/2004

日暮里駄菓子屋横丁

上野、錦糸町とともに東京の三大駄菓子問屋街と呼ばれ、最後まで残っていた荒川区日暮里の駄菓子屋横丁は平成19年に開通予定の新交通システム「日暮里・舎人(とねり)線」の整備工事などに伴い、8月末で取り壊されことになった。日暮里の駄菓子屋横丁は終戦後の闇市で玩具や駄菓子を売る露店を一箇所に集められでできた。昭和27年の区画整理によって現在の路地裏の長屋のような店舗になり、昭和30年代から50年代は大繁盛した。駄菓子屋横丁、あるいは駄菓子屋問屋街の愛称で呼ばれているが正式名称は「日暮里菓子玩具問屋街」である。最盛期の50年代には97軒もの問屋が軒を連ね、関東各地の駄菓子屋が仕入れに訪れた。昭和27年に砂糖の統制が解除されると大手メーカーが競って菓子を増産し始め、更に少子化に伴い国内各地の駄菓子屋が次第に閉店するとともにここの問屋も急激に減少した。現在では7問屋が狭い路地の両側で軒を並べて営業している。8月末に2問屋が閉店するので残り5問屋が新しい再開発ビルの中で営業を行う予定。














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